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2022.11.30

今回の「刀を奉納する」「竹垣を奉納する旅」の舞台、神遊山・岩屋寺のご住職・大須賀 珠心(おおすが しゅしん)さんに、「京都・山科 創造の旅 事務局」の東と帖佐がお話を伺いました。

大:大須賀 珠心ご住職
東:東
帖:帖佐

▶今回の企画について

東:この度は「京都・山科の新しい歴史を作る旅」の第一回である作刀・作垣の企画を開催させていただきありがとうございます!ずばり庵主さん(大須賀 珠心ご住職)は今回の企画についてどのように捉えられていらっしゃいますでしょうか。

大:今年はお寺の宝物庫を改築し、お寺が新しい時代へと生まれ変わる記念すべきタイミングです。このタイミングに、私自身としても大石内蔵助さんが最後の住処としたこのお寺の本当の姿をどのように伝えていくべきなのか、いろいろと考えを巡らせていました。一つ思ったのは、架空の物語の中で描かれることも多い義士たちですが、やはりノンフィクションの話の中で、リアリティを持って伝えていくことが大事なのではないか、ということでした。そんな中で、「新しい歴史を刻みたい」と東さんが言って、伝統工芸でお寺を彩る今回の企画を持ってこられ、それならば「お寺としても是非お願いしたい」と思いました。

▶切腹の作法を教える

大 今回の企画にはもう一つ、嘘のような本当のエピソードがあります。私は宝物殿を改築するにあたり、どうやってその価値を広めていくべきなのかずっと悩んでいました。考えながら眠りに落ちたある日、夢に東さんが出てきて、なんと「切腹の作法を教える」というのです。少し混乱しつつ目をさますと、その日に何と本当に東さんがやってきて、今回の刀の企画の話をしてもらいました。私はそのときは本当にびっくりして。何か運命的なものを感じたのを覚えています。

東 ありがとうございます。切腹の作法、そこまで詳しくはないのですが(笑)。この話をするとぎょっとする方もいらっしゃるかと思いますが、歴史の中で赤穂義士40人以上が命をかけた、ということは、本当にリアルなことだと思うのです。彼らは討ち入りに参加すれば、自らの命がないことは当然理解していました。それでも大石内蔵助の信念に自らの身を捧げることを選びました。その準備の最後の舞台だった岩屋寺は、義士たちの精神性を伝えるのにピッタリのお寺だと思っています。

▶大石内蔵助について

東 今の時代、上に立つ人の中には頼りない人も多いと思っています。色々な汚職の話もあります。多くの若者が政治への興味すら失ってしまっている。そんな世の中だからこそ、一つの信念を持って、力強く義士たちを先導した大石内蔵助の像を多くの人に見てもらえると良いのではないかと思っています。

大: 大事なのは、その人自身が何を考えているのか、ということだと思っています。(大石内蔵助は)自身の芯を持って生きたからこそ、あれだけたくさんの人がついてきたのではないでしょうか。今は、大きな力に流されたり、お金に引き寄せられてしまったり、そんなことも多い世の中ですね。だから、やっぱり、リアリティのあるノンフィクションの話として、大石内蔵助さんの考えたことを伝えていくことが、私の使命なのではないかと思っています。

東: 赤穂浪士の中にもいろんな考え方の人がいたはずだと思いますが、それを1人でまとめ上げたというところがすごかったのだと思います。映画等で取り上げられるのは泉岳寺と☓☓が多いですが、討ち入り前の準備を整えたこのお寺にはなかなか光が当たりません。今回の企画で光が当たると嬉しいです。

大: それにしても昔は忠臣蔵もすごい人気でした。年末は長時間の特番が組まれたりしましたが、最近はあまり見なくなりましたね。人々が情や忠誠心に興味をもたなくなったことの一つの現れかなと思っています。便利な世の中になりました。ものはなんでもあるし、なんでもスマホですぐに調べられる。でも人々の心のことを考えると、果たして豊かになったのか?と思うのです。

▶伝統工芸について

帖: 今回は一緒にこのような企画をさせていただけることを光栄に思っています。ありがとうございます。私は、伝統工芸は、何でもモノがありふれた現代ではなく、自然の中にあるものをうまく使いながら豊かさを生み出してきた人々の知恵と意識の集積物だと思っています。古き歴史の価値を再認識して、新たに伝えていく今回の試みの中で、伝統工芸はまさにぴったりなのではないかと思っています。

東: 今は本当に便利ですが、それでも例えばピラミッドを建てることはもう今の人にはできないのだそうです。人々が経験値の中で作り上げてきたものがいかに素晴らしいか、ということを示しているのだと思います。今は何でも調べたらわかるから、逆に何も考えなくなりました。漢字ですら、もう手では満足に書けません(笑)

大: 外面は優れていく世の中ですが、人々の内面はどんどん廃れていっているのかもしれませんね。先日、試作で竹垣を一つ作ってもらいましたが、それがとても美しくて、私は毎日見ています。車でお寺へ帰るときのルートをわざわざ変えたぐらい(笑)小さな竹垣ですが、それがあるだけで、空間そのものががらりと変わった気がします。

▶さぁ、「創造の旅」へ

帖: 実はそれは施工した竹垣職人の真下さんも大切にしておられることなので、そのように感じて頂いてとても嬉しいです。真下さんはどこに作るか、どのような寸法にするか、ということをものすごく考えてから、竹垣を作られていました。経験を総動員して、もしここにこの竹垣ができたら、空間がどうなるかということをよくよく想像して、考えていたのだと思います。

東: 見る人の感じ方も大切だということですね。それが庵主さんと真下さんの間ではばっちりつながっていたということなのではないかと思います。このまま便利な世の中を生きていると、我々の精神が廃れていってしまうかもしれません。テレビや芝居で見る以上に、リアリティを持って、自分たちの体と心で、失った精神を取り戻すのが今回の「創造の旅」。刀や竹垣の創造はものに命を吹き込むことだし、お寺に命を吹き込むことだと思います。多くの人に参加してもらえると嬉しいです。